ブラジル繊維工業協会は先週、国内繊維産業に損害をもたらすほどの輸入品の「突発的拡大」がブラジルで記録されていることから、衣料品のセーフガードに向けた調査を申請した。これは、24日のニュースだった。
それは感慨を催すようなニュースではなかったが、国内工業と呼ばれるものを形成する長期プロセスを我々が分析し、そして、常に誤認と見当違いが見られる戦略を批判するためのターニングポイントになるだろう。なぜなら、実際には、多くの物品の輸入が「突発的拡大」に見舞われており、様々な国内産業が焼け野原となり、単純に輸入業者に成り下がるか、組み立てるだけの産業になっているのだ。
このプロセスは、簡単に言えば、次のようになる。つまり、20世紀前半にブラジルは、石炭と鉄鋼の2品目をベースとした強力な産業を持つ強い国だった。アメリカとイギリス、ドイツ、フランス、イタリアは、いずれも石炭があり、鉄鋼があり、造船や鉄道、機械・設備を製造するための機械といった、強力な産業を保有して列強国の一団にいた。
ブラジルは、これらを全く、あるいは事実上何も、保有していなかった。つまり、それが私たちの国が後塵を拝した理由だった。共和国大統領を含む多くの人々が、あきらめから、あるいは現状を受け入れるように、「ブラジルは本質的に農業国だ」と発言した。英国のある大物は、第1次世界大戦後のブラジルの希望を耳にし、「何だって? 熱帯の国で製鉄作業だって? それは冗談に違いない」と、発言した。もちろん彼が知らなかっただけなのだが、ブラジルには植民地時代のはるか昔、既に、サンパウロ州に王立ソロカバ製鉄が存在しており、現在では同市の史跡になっている。製鋼所としては優れたものではなかったが、それでも、鍬と斧、鋤を生産することができた。
殖産への猜疑心とノウハウ不足、コーヒー輸出に伴う外貨獲得が堅調だったことが相まって、19世紀半ば以降、多くの産業が衰退に向かった。
1930年に、ジェトゥリオ・ヴァルガスが権力を掌握、「工業化」をモットーに掲げた。ベルゴ=ミネイラ社のブラジル進出は、熱帯地域では製鉄事業が成功しないというタブーを破り、より先進的なものへの要求を生み出した。すぐさま、ヴォルタ・レドンダに大規模な製鉄会社の設立が検討され始めた。第二次世界大戦とこれに伴う軍備と、兵站、船舶、兵器、弾薬、原材料に対する需要は、ブラジルにとって、
ナシオナル製鉄会社、つまりCSNを設立するための技術の供与を米国から受けるための資金確保だけでなく、製鉄事業と生産事業全般に及ぶチャンスが到来した。同社はまだその場所で、現在も製品を国内製造業に供給している。
これ以降、すなわち1940年代以降は、「輸入品を代替する」必要があるという考えに基づき、そこから国内産業を「保護する」ために「輸入に歯止めをかける」という考えに飛躍、産業部門を支援するという戦略の内容に誤認が生じたものと、私は確信している。輸入税はこの戦略に対する重要な武器になった。政府が囲い込んで確保した市場という旨味を吸い上げようと外資系企業が進出するため、結果的にそれほど「国産」でもない国内産業に対して、ブラジルの消費者が人質にとられた。国内市場が十分な規模を確保している場合には、進出すると有利で、国際競争のわずらわしさから解放されるのだった。
ヴァルガス政権下の1952年、BNDE(最後にSが付くのは後の事である)を設立、「国営」産業の振興を図った。それから間もなく、複数の自動車メーカーが、大げさな自画自賛でもってブラジル国内で「国産」車を製造することを提案した。BNDEの資金と既存の販売網を利用し、製品は輸入関税という盾に守られた。シボレーとフォード、シトロエン、アウディ、メルセデスの輸入が、完全に禁止された。(注:1948年から数年間は、サンパウロ市内と地方都市の無数のタクシーが、極めて安価だったメルセデス・ディーゼルだった。しかし1955年以降は国産車に置き換えられた。)
この戦略により国内産業は、政府による保護主義と融資に依存することになった。そして現在、いかにして世界で勝つのかという課題に直面している。
こうした誤認は、2つの誤った軸足による。1つは、最良の防御は防御であるというもの。しかし現実のビジネスの世界では、最良の防御は攻撃なのだ。もう1つは、産業が故国の名を高めるということである。
しかしながら、私たちが世界で目を止めるのは、ブランドである。三菱、キヤノン、ヤマハ、ソニー、起亜、あるいはボルボ、フォルクスワーゲン、シボレー、テレフンケン、フィアットは、いずれも、世界のいずれの国にも工場を設立することができる。というのも世界の消費者はブランドを信仰するのであって、その生産プロセスではないからだ。
ブランド名と品質の証として、国際的に受け入れられる様々なブラジル製品とブラジル・ブランドを立ち上げることが、最善の戦略だったはずだ。重視すべきは、製造以上に商品化計画。これらの製品とブランドは本来なら、国内工業のサプライ網を、防戦一方ではなく今頃は、世界中で競争しつつ展開させていたはずだ。我が国のように、産業が内に篭もっている新興国には、打って出る場所はどこにもない。(2012年8月27日付エスタード紙
マルコ・アントニオ・ロッシャ
)
大きな誤認の小さな歴史